桂歌丸の病名や症状は?入院していた病院はどこ?

https://www.google.co.jp/url?sa=i&rct=j&q=&esrc=s&source=images&cd=&ved=2ahUKEwjD1NqH7IDcAhWEi7wKHWYECxkQjB16BAgBEAQ&url=http%3A%2F%2Fakogare.me%2Fkandou%2F20615&psig=AOvVaw0o5lQbysZjwFt3st7PG0HS&ust=1530635528039648

7月2日に桂歌丸さんが亡くなりました。

笑点の司会でおなじみでしたが
昨今は体調を崩されており、度々病院へ入院されていたそうです。
2018年7月2日に81歳でこの世を去りました。

どういう病気だったのでしょうか?
桂歌丸さんの症状や病院が気になったので調べてみました。
まずはプロフィールから見ていきましょう。

目次

桂歌丸のプロフィール

https://www.google.co.jp/url?sa=i&rct=j&q=&esrc=s&source=images&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjWu8-X7oDcAhWGVLwKHeF0D6wQjB16BAgBEAQ&url=https%3A%2F%2Fmatome.naver.jp%2Fodai%2F2142459455649168901%2F2142460622760916003&psig=AOvVaw1OKrOi-s3IenSQSX-Tq457&ust=1530636126288776

引用:Naverまとめ

本名 椎名巌(しいないわお)
生年月日 1936年8月14日
出身 神奈川県横浜市
血液型 A型
師匠 5代目古今亭今輔
4代目桂米丸
名跡 古今亭今児(1951年 – 1961年)
桂米坊(1961年 – 1964年)
桂歌丸(1964年 – 2018年)

1951年、歌丸さんが15歳の頃に
5代目古今亭今輔に入門して
前座名「古今亭今児」の名前で落語を開始しています。

1961年に兄弟子の桂米丸門下に移動し、
桂米坊として落語を再出発。

1964年には桂歌丸と改名をし、
4年後の1968年に真打ちへ昇進しています。

米坊も歌丸も、どちらも米丸が考案した名前だそう。

また、笑点の放送当初から
レギュラーメンバーとして出演。

2006年には5代目の司会者を務め、
2016年には春風亭昇太さんへ司会者を
譲るまでは10年司会を続けました。

体調を崩されながらも
落語への情熱は燃やし続けており
今年も4月に国立演芸場では隔日でトリを務めており
酸素チューブをつけながら、長講の
「小間物屋政談」を熱演していました。

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桂歌丸の病気は?慢性閉塞性肺疾患とは?

https://www.google.co.jp/url?sa=i&rct=j&q=&esrc=s&source=images&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiqhceH7oDcAhXJS7wKHcDSAwoQjB16BAgBEAQ&url=https%3A%2F%2Fmatome.naver.jp%2Fodai%2F2146961559166465901%2F2146962491872538903&psig=AOvVaw1OKrOi-s3IenSQSX-Tq457&ust=1530636126288776

引用:Naverまとめ

歌丸自身が「多病息災」と表現し、
笑点のメンバーも「病気のデパート」と揶揄しています。

歌丸さんはこれまで数多くの病気と闘っておられていましたが
今回亡くなった原因は「慢性閉塞性肺疾患」だそうです。

また桂歌丸さんはタバコが好きなようで
50年近く、缶ピースを1日40本吸われています。

365日毎日吸っていたのであれば
50年で吸ってきたタバコの量は

73万本

という計算になります。

逆に81歳まで生きられたのが凄い気がしますが…。

タバコの煙が原因で気管支に炎症が起きて
気管支が細くなることで
呼吸能力が低下してしまうわけです。

そのため、肺の組織が壊れており
空気を押しだせなくなるそうです。
これまでの手術は8回、月に4回は病院という
通院頻度だったそうですが、
タバコは辞められなかったのでしょうね…。

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桂歌丸の入院先は横浜市大病院か?

引用:WikiPedia

桂歌丸さんが息を引き取ったのは
横浜市内の病院と報道されていました。

また、歌丸さんの自宅は
横浜市中区真金町にありますから
自宅から近い病院も考えてみると

横浜市立大学付属病院

という憶測ができます。
以前の病気を患っていたときも
ここに入院していたようですね。

入退院を繰り返しても舞台に立ち続けた歌丸

https://www.google.co.jp/url?sa=i&rct=j&q=&esrc=s&source=images&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiThO_-7IDcAhVM6bwKHTDgC5UQjB16BAgBEAQ&url=http%3A%2F%2Fakogare.me%2Fkandou%2F12470&psig=AOvVaw1p3Lxvx8ttKj6NuDDK0exB&ust=1530635797798701

引用:Akogare

入院中も歌丸節は変わらず、
欠かさす笑点を見ていたようです。

「入退院を繰り返して、“肺炎”な騒ぎになっておりました」
「入院中も欠かさず『笑点』は見ていました。必ず私の悪口が出る。油断できない」
「声が出なけりゃミイラと同じですから」

6月14日に退院されてからも
呼吸器をつけて高座や「もう笑点」の舞台に立ち続けています。

落語が本当に好きで、落語の素晴らしさや
日本の伝統芸能を後世に残したいという思いで
それこそ旅立つまでずっと続けられてきました。

落語に対しても強いポリシーを持たれていて

落語家も、漫才師も、
あるいは歌舞伎、お能、狂言の方も、
皆さん日本語を駆使して芸を披露しています。
言葉ってのは“その国の文化”なんです。

私たちは落語を通して
お客様に笑っていただくわけです。

と述べています。
長年、「日本語で笑わせる」ということを
見せてきた桂さんですから重みがあります。

また、死ぬまで落語をやるとおっしゃっており
それを体現されていました。

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まとめ

桂歌丸さんがご逝去されたということで
悲しむファンは多く、僕もその一人でした。

舞台は違えど、桂歌丸さんの姿勢は見習うところが多いですね。
桂歌丸さんのご冥福をお祈り申し上げます。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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